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2012年9月17日月曜日

中国依存脱却のヒント「アフリカの唐辛子」 日本の底力を示すとき

2012.9.16 12:20  沖縄・尖閣諸島をめぐる数々の事件にかかわらず、中国の傍若無人ぶりは本当に目に余る。対抗策はないのか。神戸にある中堅商社「小林桂」がヒントになる取り組みを進めている。中国にほぼ一極集中する唐辛子輸入のありようを見直そうと、アフリカ・モロッコで独自に唐辛子を栽培。年内にも輸入を始めるというのだ。中国漁船衝突事件後のレアアース(希少金属)輸出規制が示す通り、資源を人質にとる中国外交は狡猾だ。一民間企業の小さな取り組みとはいえ、中国リスクを避ける考え方がそこにはある。(大谷卓)



アフリカ・モロッコで栽培された唐辛子=2011年9月(小林桂の常深克典さん提供)


■ アフリカで唐辛子… 本当にできる?

 「あそこで唐辛子を植えられないか」

 きっかけは、2006年夏。同社会長の小林博司が1人での海外出張を終え、帰社後に発したひと言だった。場所は、日本から1万キロ以上も離れたアフリカ・モロッコ。250ヘクタールの畑を取得したのだ。

 スパイスを専門に取り扱う同社は従業員50人ほど。小林は30年以上前にイラン産のピスタチオに目をつけ、日本に輸入して「ヒット商品」にした経験がある。確かな見立てがあっての発言だが、唐辛子である理由もあった。

 国内の唐辛子の輸入量は約1万1千トン。うち9割近くを中国産に依存している。中国からの輸入が止まれば、唐辛子が食卓から消える可能性がある。代替産地をつくり、中国依存に風穴を開けられないか。そんな思いも小林にはあった。

 もっとも、現場は戸惑った。

 現在、唐辛子プロジェクトを担当する営業部課長の常深克典(39)は「新しい事業を検討中で、唐辛子も候補のひとつだった。ただ、やれと言われても、どう進めればいいのか分からなかった」と振り返る。

 まず、唐辛子栽培の経験がない。仮に栽培に成功したとして、中国産の価格に勝てる保証もない。社内では事業の進め方を議論したものの、答えが見つからず、実質棚上げされた。

■ 試行錯誤の末のスタート

 まったく動いていなかったわけではない。09年には現地の取引先を通じ、契約農家に唐辛子栽培を依頼した。100キロ程度だったが、収穫もできた。

 実は、唐辛子栽培にはアブラトキシンという強い発がん力を持つカビ毒素の発生をいかに抑えるかという懸案がある。アブラトキシンは、アスペルギルスフラバス菌がいなければ発生しないが、モロッコでどうかが分からない。

 そこで翌10年は、安全な唐辛子を栽培できるかをチェックした。その結果、畑の管理さえ怠らなければ菌の発生を抑えることが可能だと分かった。つまり事業化のめどがたった。

 国内でも動きがあった。日本貿易振興機構(ジェトロ)による支援策の活用だ。常深は当時、直接の担当ではなかったが、その支援策活用で唐辛子栽培を軌道に乗せられないかと思い描いていた。小林に直談判し、了承を得た上で、ジェトロの審査の末、支援を受けられることになった。

 代替産地化を目指した唐辛子プロジェクトは動き始めた。が、懸案はまだあった。ひとつは農業経験のなさだ。アジア、アフリカ各地で異なる収穫方法や農薬頒布、価格設定は…。解決しなければいけない課題は山積していた。

■ 「きっと壁は乗り越えられる…」

 常深はプロジェクトの担当に任命され、10年7月に現地に向かった。

 「どれだけ準備しても不安はなくならなかった。ゼロからのスタートでしたから」

 関西国際空港から飛行機で現地に向かったが、その間ほぼずっと、ミスターチルドレンの「終わりなき旅」を聞いていたという。

 「閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて『きっときっと』って僕を動かしている」

 「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな」

 そんなフレーズが自身の立場に似ている気がしたからだ。経由地を経て約22時間、常深は「きっと壁は超えられる」と頭の中で繰り返していた。

 だが、やはり何度も壁にぶつかった。ひとつは言葉の壁。常深も英語はできるが、現地の農家で使われていたのはフランス語とアラビア語。意図が十分に伝わらないこともあった。それ以上の壁は、農業の専門用語の知識が十分ではなかったことだった。

 「分かったと言ってくれても本当に分かっているのか…。農業の常識を知らないから、不安は二重三重になって襲ってきた」

 帰国後、常深は茨城県内の唐辛子農家を訪れた。モロッコでの栽培方法が正しいのかをチェックするためだったが、農場をみて愕然(がくぜん)とする。

 雑草が生え放題だったモロッコに比べ、茨城の農場は整然ときれいだった。葉の付き方も、畝の作り方も、土の質も…。何もかもが違った。同じ唐辛子の畑とは思えなかった。

 「唐辛子の茎はある程度生育して高くなると、地面に陽が届かなくなり雑草も生えなくなる。それを知らないから、当時はあまりの違いに焦ってしまった」

 ただ、そういう経験を積み、モロッコでのやり方があることにも気がついた。畝の間隔が日本と違うのは、モロッコの契約農家が、パプリカ栽培の経験を生かした結果。「農家の知恵」があると知った。

■ 対中国を考える「切り札」に

 2012年の生産面積は10ヘクタールに増えた。8月末から第1次の収穫がスタートし、雨期の始まる11月ごろまで続く。収穫して天日干しし、日本に輸入する。収穫量は20~30トンになる見通しだ。

 5~10年後までに年間生産量を千トンまで見込むが、実は思わぬ効果も生まれているという。

 欧州各国から唐辛子の生産量について問い合わせがあったのだ。唐辛子は欧州でも調理に使われ、中国に依存する態勢を不安視されていた。中国リスクへ切り札だけでなく、欧州への「輸出」も視野に入ってきた。常深は「今回と同じスキーム(仕組み)はほかの産物にも活用できるはずだ」と言い、カードゲームにたとえて中国依存脱却のやり方をこう説明した。

 「リスクを軽減するために手札をたくさん用意しておくのは勝負の鉄則でしょ。カードを切るとみせかけながら相手と交渉する手立てにすればいい。そうすることで、日本の力を示すことにもなるはずだ。唐辛子がその一例になればいい」

(敬称略)

以上、Sankei Biz 中国依存脱却のヒント「アフリカの唐辛子」 日本の底力を示すときより



 リスクの分散は生き残りの鉄則とはいえ、分散が更なるリスクを生むこともあるという恐怖を克服して初めて、成功を収めることが出来るのでしょうね。